2009年9月1日火曜日

日本の歳時記⑥ ~重陽の節供~

- 節供とは -

江戸時代初期、季節の変わり目である節目に
神様に食物を供え天の恵みに感謝をし
健康や長寿・家内安全を祈願することから始まったもの
と云われています
そして中国の「陰陽道」に大きな影響を受け
数字の中で奇数を陽として尊び
奇数の重なる日をさらにおめでたい日と致しました
その中でも九月九日の重陽の節供が
最も公的性質を備えていたものと思います


○九月九日 重陽の節供(菊の節供)

 寒さに向かう時期を前に、無病息災を願い防寒の意味を含め
重陽の節供が行われました。
昔々中国に神通力の達人であった「長房(ちょうぼう)」と云う学者
がおりました。
ある時、弟子の桓景(かんけい)に
「九月九日、お前の郷里に大災厄が起きるので
急いで家の人に赤い袋を縫わせ‘呉しゅゆ’(=ぐみの実)を入れ
肘に掛け丘に登り菊の花の酒を飲むとその災いは消えるであろう」
と伝えました。
さて、桓景はその言葉通りに一家をあげ丘に登り、夕方帰ってくると
家畜は全て亡くなっておりました。
その事から九月九日に赤い袋を身につけ
菊の花のお酒を飲む風習が始まったそうです。

○菊被綿(きくのきせわた)について

 重陽の節供の行事のひとつ。
 前日に菊の花を真綿で覆い菊の香を移し
翌九日の朝に露に湿った真綿を顔にあて若さを保とうとしたもので
菊の香りに不老長寿を願ったものです。
 白い菊に黄の真綿、黄の菊には赤の真綿、赤の菊には白の真綿
を被せます。

源氏物語の中に
光源氏が紫の上を偲んでうたった菊被綿の歌があります。

もろともに おきいし菊の朝露も ひとり袂にかかる秋かな
-夜露にぬれた被綿も亡き人と一緒に起きて長寿を祈った菊の朝霧も
今はひとり袂にふりかかる露となって-

今年の重陽の節供、あなたも菊被綿をしてみませんか。


小林豊子きもの学院 北海道学院長
信田豊愁

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